ブランド買取・質入れなら
下記のエルメスバッグ買取査定額は、新品商品(全く使用していない商品で傷なし、保証証有効期限内、箱あり)の買取上限価格です。 商品の状態、人気度、付属品の有無によって、買取査定額は上下することがあります。
そのために、下記のエルメスバッグ買取査定額のとおりに買取をできない場合がありますので、下記の買取査定額についてはひとつの参考としてご覧くださいますようにお願いいたします。 ※質入れの場合のエルメスバッグ質入れ査定額は、預かり期間中の査定相場の下落を考慮するので、買取査定額より10%から20%若干下回ります。
エルメス(HERMES)は1837年にフランス パリのマドレーヌ地方で、高級馬具の工場としてティリア・エルメスが創業しました。当時の交通手段は馬車が主だったために、馬に馬車を取り付け固定するための鞍が必需品でした。
エルメス(HERMES)は、貴族や富豪がこぞって馬車の利用を増やしているのをみて、馬の鞍の製造に特化して高品質で大量の馬具を販売するビジネスモデルを確立しました。
エルメスの販売する馬具や鞍は当時の貴族や富豪に支持され、エルメスの名は一躍有名になりました。
1880年頃からガソリンエンジンによる自動車が普及し始めると、馬車の需要は下火になり始めます。
エルメスの3代目社長 エミール・モーリス・エルメスは、自動車が普及すれば馬車の需要が無くなり、馬具や鞍の需要が衰退することをいち早く感じ取っていました。そこで社長のエミール・モーリス・エルメスは、自社の革を加工する技術を生かして鞍を入れるバッグの製造を始めます。
1892年にこのバッグはオータクロアとして発表されることになり、エルメスが高級バッグメーカーとしての転身をはかる記念すべき作品になりました。
もともとエルメスは貴族や王族、富豪に絶大な支持を受けていたほどの、皮革の加工技術を持ったメーカーだったので、製造するバッグのクオリティは大変高く、鞍同様に富裕層の絶大な人気を博することになりました。後にオータクロアは鞍を入れるだけでなく旅行かばんとして利用され始めるなど、エルメス=高級皮革バッグメーカーとしての認知度が高まりました。
1930年代の女性のかばんは、いろいろな装飾を施されたかばんが一般的でした。エルメスの4代目社長であったローベル・デュマ・エルメスはこうした流行に疑問を持っており、かばん本来の美しさをもった作品を作りたいと考えていました。
オータクロアをベースに製作されたローベル・デュマの作品は、映画女優からモナコ公妃になったグレース・ケリーの目に留まり、様々な色のかばんを発注するほどに気に入っていました。1956年のこと、車から降りようとしたグレースケリーを記者が撮影しようとしたとき、すでに懐妊していた彼女のお腹をガードしたのが、このかばんだったと言われています。
この写真雑誌が掲載したグレース・ケリーとかばんの写真は、瞬く間に世界中に広まり、これ以来このかばんは「ケリーバッグ」と呼ばれるようになりました。それ以来、ケリーバッグは現在まで製作が続けられており、ケリー・カット、ケリー・リラックス、ケリー・ラキス、ショルダー・ケリーなどのたくさんの種類、色、素材などが発表されています。
バッグ バーキンの登場は、オータクロア、ケリーと比較してかなり最近の出来事です。1983年にエールフランスのパリ~ロンドンの飛行機内での出来事がそのきっかけになりました。当時女優であり歌手でもあったジェーン・バーキンとエルメス社長のジャン=ルイ・デュマ・エルメスが偶然にも隣同士に座ることになったのです。
ジェーンとジャン=ルイ・デュマは、フライトの短時間の間にすっかり仲良くなり、たまたまジェーンがエルメス製の手帳を床に落としてしまったために、挟んであったメモ用紙が床に散らばってしまいました。そのメモ用紙を拾いながらジェーンは「これだけのメモ用紙を挟む手帳はどこにもないし、バックはポケットが足りない」とこぼしたと言われています。
ジャン=ルイ・デュマはここで初めて自らの身分を明かして、エルメスの工房であなたの理想とするバッグを製作してみましょう、と提案しました。そして飛行機内でジェーンの語る理想の鞄をスケッチして自社の工房に持ち帰ります。後にジェーンとジャン=ルイ・デュマは工房で再開し、スケッチされたバッグはエルメスの職人によって作品に仕上げられました。
この鞄は平らな底で十分な容量があり、開いたまま使っても、閉じて使っても上品な印象の鞄でした。一目でエルメスの鞄であることがわかる2本のベルトが高級感を醸し出しています。こうして誕生した鞄 バーキンは、発表から30年以上たった今のエルメスバッグの象徴的なバッグになっています。
エルメス買取をお考えであれば、創業大正9年、都内で3店舗を展開している須賀質店にご相談ください。須賀質店はおよそ100年にわたり、質屋として高価な宝飾品、高級腕時計、ダイヤモンド、ブランドバッグなどを高価査定してきました。

高額バッグや財布の代表メーカーであるエルメスの買取も、たくさんの実績があります。エルメスのバッグを高く売りたい、高価買取を希望しているのであれば須賀質店にご相談になってみてください。
エルメスのバッグは国内だけでなく、海外の富裕層にも人気がある高級ブランドバッグの代表格です。国内の流通価格だけでなく、海外のエルメスバッグオークション落札価格までチェックしながら、常に最も高い買取価格の追及に努めています。

須賀質店では、創業以来築きあげた情報網でエルメスバッグの相場価格の最高値をチェックするだけでなく、海外にまで通じる人脈を駆使しながら、グローバルな相場価格でも特に高い買取価格の情報を集める体制を作り上げてきました。
エルメスのバッグだけでなく、財布や小物類、時計やアクセサリーに至るまで、少しでも高い買取価格をご希望であれば、須賀質店にお問い合わせくださいますようにお願いいたします。
エルメスのバッグは、新品を除いてひとつひとつの状態はそれぞれ異なっています。状態の良いエルメスのバッグはもちろんのこと、状態の良くないエルメスバッグであっても、少しでも高い買取査定価格を付けることができる査定員が、須賀質店の各店舗には常駐しています。

須賀質店の査定員は、ブランドバッグのオークション市場で多数のエルメスバッグを査定することと、社内でのきめ細かい研修を受けることで、どのような状態のエルメスバッグであっても業界最高値の査定価格を付けられるスキルを身につけています。
エルメスバッグを高価買取するためには、高く売却できる売り先を確保することが大切です。須賀質店では、国内でエルメスバッグを高く売却できる販路を確保しているだけではなく、海外のブランド品オークション市場もチェックしながら、常にエルメスバッグを高く売却できる販路の開拓を続けています。

また、海外の富裕層にエルメスバッグの買い付けの依頼を受けているバイヤーともコンタクトを取りながら、特定のエルメスバッグを高価買取できる情報の収集も継続して、業界最高値のエルメスバッグ高価買取につなげています。
須賀質店のエルメスバッグの査定価格は業界でもトップクラスの買取査定価格ですが、複数の買取依頼をいただくことで、さらなる買取価格のアップが期待できます。査定員も複数点エルメスバッグをお持ちいただくことで、1点ごとの買取価格率を上げることが可能になるからです。

もし皆さんが、複数点のエルメスバッグの買取をお考えであれば、まとめて須賀質店にお持ちいただくことをお勧めいたします。
エルメスのバッグ買取で、担当する査定員の商品に対する知識や相場価格の把握は大切な要素であると考えますが、それと同じくらい担当する査定員の接客マナーも大切な要素であると考えています。須賀質店の査定員は、多数のブランド品オークション市場に出入りすることで、商品の知識や最新査定相場を把握するとともに、社内では服装、髪型、お客様との会話スキル、立ち居振る舞いまで厳しく指導されています。

ブランド買取の業界では、一部の査定員や接客スタッフの対応がよろしくないとのお話をお客様からいただくことが多く、須賀質店では査定員は相場や商品知識のプロフェッショナルである前に明朗で良識ある社会人であるべきであるという方針で、従業員の指導に努めています。
エルメスバッグはもともと品薄で手に入れることが難しかったブランドバッグでしたが、中国や韓国、シンガポール等アジアの富裕層が増加した理由から、さらに手に入れることが難しくなったブランド品といえます。

特に日本のエルメスバッグの中古品は品質が高いうえに、日本人が取り扱っているエルメスの中古品は偽物がないといった信頼度の高さから、アジアの富裕層に絶大な人気があり価格が高騰しています。エルメス製品はバッグだけでなく、財布や小物類、時計やアクセサリーに至るまで品薄状態が続いているので、売却をお考えの方は今が高く売却できるチャンスといえます。
エルメスのバッグ買取価格はどのように決まるの?
人気や流行によって買取価格は変わりますか?
エルメスの買取で、いちばん重要な要素は何でしょうか?
製造年が新しいほど、高い買取価格になりますか?
汚れや傷がひどい場合は買取できないのでしょうか?
付属品の有無は、買取価格に影響がありますか?
エルメスの買取価格は、円安や円高といった為替の影響を受けるのでしょうか?
業界一の査定価格の高さと利息の安さを実現。
一流の査定士が安心感や信頼感のある査定をいたします。